はじめに
こんにちは1。物理学科2年2のSℏunです。数理物理班と量子班に入っています。この記事は理物 アドベントカレンダー 2022の20日目の記事として書きました。今日は量子基礎論という量子論の枠組み自体を研究する分野における、「擬確率分布と量子化の双対性」というテーマ3について解説します。
物理量の非可換性
まず量子論4の概説から始めましょう。量子論においては、系の状態はベクトル|ψ>で表され5、物理量はそのベクトル空間6上のエルミート演算子として表されます。そして物理量Aの値aは一般には確定せず、状態によって決まる確率分布P(a)に従って、その物理量に対応する演算子の固有値のみを取ります。 そのため、複数の互いに非可換な演算子で表される物理量の値は一般には同時に確定せず7、不確定性関係などが成り立つことになります。
擬確率分布
そのため、物理量Aと物理量Bが非可換な時、「Aの値がaでBの値がbである状態」が一般にはそもそも存在しないので、「Aの値がaでBの値がbである確率」といったものが定義できないことが分かります。つまり、互いに非可換な物理量についての同時確率分布は量子論においてはそもそも定義できないのです。 しかし、そうは言っても同時確率分布"のようなもの"があれば量子系の状態を直感的に理解しやすいので、そういったものをつくる試みはいくつもなされてきました。 実は、「確率の総和が1になる」という条件は保ったまま、「確率の値は0以上1以下の実数でなければならない」という条件を外すと、"擬同時確率分布"というものが定義できることが知られています。 ここで、同時分布を片方の8物理量について積分すればもう片方の物理量についての普通の確率分布が得られますが、これは量子論から一意的に計算できるものなので、それとは整合しなければなりません。しかし、それだけでは同時分布は一意には定まらないので、擬確率分布にはその定め方に任意性があり、それは物理量の非可換性に起因していることが分かります。 このようにして定められる擬確率分布の一例としてWigner関数があります。これは粒子の位置xと運動量pについての擬確率分布の一つであり、量子光学の分野において利用されています。9
物理量の量子化
量子論において物理量の非可換性に起因する他の問題としては、「物理量の量子化」の問題があります。ここで、"物理量の"量子化と言ったのは、今回考える"量子化"は、正準量子化や経路積分量子化のような量子論の枠組み自体をつくる方法のことではなく、その枠組みの下で、既知の古典物理量からそれに対応する量子物理量をどう与えるかのことを指すからです。 例えば、xとpがどう正準量子化されるかは知っているとして、xとpの関数f(x,p)はどう量子化されるのでしょうかということです。例えばxpという物理量は古典ではpxと書いても同じですが、量子論においては異なります。そこで、xpという物理量はxpか、pxか、それ以外かとどう量子化すればいいのかという問題が生じます。10 このように、物理量の量子化には一般に物理量の非可換性に起因する任意性があります。
通常の量子論での扱い
実は、なんとこの擬確率分布の定め方の任意性と量子化の任意性という、ともに物理量の非可換性に起因する任意性には深いつながりがあるのです。今からそれを説明していきます。 しかし、その枠組みを説明する前に、まずは一つの物理量についての確率分布と、一つの物理量の関数として表される物理量の量子化の方法についての量子論での扱いを見るところから始めていきましょう。 まず、物理量Aの固有値aの固有空間への射影演算子 を定めます。すると、これを用いて、状態ρにおいて物理量Aの値aが従う確率分布P(a)は、 と与えられ、物理量Aの関数f(A)の量子化は とこれも一意的に与えられます。 ここで、f(A)として特にe^(-isA)をとれば となります。ところでこれは射影演算子のフーリエ変換と見ることもできますから、逆に と射影演算子をe^{-isA}の逆フーリエ変換として得ることが出来ます。
擬確率分布と量子化の双対性
では、擬確率分布の定め方と量子化の一般的枠組みの説明に移りましょう。 まず、基礎となる物理量としては を考えます。そして、まずhashed operator を定義し11、その逆フーリエ変換としてQJSD(Quasi-Joint Probability Distribution)を と定義します。これはある一つの物理量について以外積分すればその一つの物理量についての射影演算子が得られるので、QJSDを射影演算子の代わりとして用いることができます。 これを用いると物理量(A1,A2,...)の値が(a1,a2,...)であるような擬確率は と定められ、物理量f(A1,A2,...)の量子化は と与えることができます。このようにして与えられた擬同時確率分布はどれも正しい周辺分布を与えます。 このように、擬確率分布と物理量の量子化はどちらもQJSDをどう選ぶかによって定まるので、対応関係があることは理解できるでしょう。しかし、その双対性を理解するには以下のように考えるとわかりやすいです。 まず初めから古典物理量f(a)と量子状態ρは知っているとして、期待値などの統計量を得るには、状態の方を擬古典化して擬確率分布で表してから古典論において計算しても、物理量の方を対応する量子化の方法で量子化してから量子論において計算しても同じだということです。
Aharonov弱値
擬確率分布の応用例としては以下のようなものが挙げられます。量子測定などの分野において弱測定によって得られるAharonov弱値という量が知られていますが、この量は擬確率分布の観点からは、擬確率分布としてKirkwood-Dirac関数を採用したときの擬条件付き期待値として理解することができます。
終わりに
いかがでしたか?結構面白い内容だと思うのでそれが伝われば幸いです(僕は研究室のホームページの研究紹介のところでこれを見つけては????凄そう!ってなりました)。基礎理論最高!! ちなみにこれと関連して僕自身の研究成果もあります。そっちは5月祭をお楽しみに!
脚注
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今回は間に合ったよ!やったね! ↩
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理学部物理学科への進学が内定しているだけで正式な所属はまだ教養学部(前期課程)理科一類です。 ↩
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J. Lee, and I. Tsutsui. A General Framework of Quasi-probabilities and the Statistical Behaviour of Non-commuting Quantum Observables, Springer Proceedings in Mathematics & Statistics 261,pp.195-228, https://doi.org/10.1007/978-981-13-2487-1_9 などを参照。今回の記事はほとんど全てこの論文に基づいています。 ↩
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どうでもいいですが、個人的には「量子論」という言葉はその一般的枠組みを指し、「量子力学」というのは"力学"、つまり粒子(系)の運動についての量子論を指す、というノーテーションを採っています。 ↩
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純粋状態の場合は。混合状態も含め一般にはそのベクトル空間上の密度演算子ρで表される。 ↩
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詳しくはただのベクトル空間ではなくヒルベルト空間(内積が定義されかつ完備であるようなベクトル空間) ↩
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非可換な演算子は同時対角化できないため。一般には、と言ったのは、[A,B]が固有値0の固有ベクトルを持つならAとBが非可換でもそれがAとBの同時固有ベクトルとなり得るため。 ↩
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たまに2つの物理量についての同時分布であるかのような文章となっていますが、ここに書かれていることのほとんどは一般にもっとたくさんの物理量について考えても成り立ちます。 ↩
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他の擬確率分布の例としてはKirkwood-Dirac関数などがあります。歴史的にはそのような具体例がいくつも提案される一方、一般論はこの李宰河と筒井泉の研究以前はあまり理解されていませんでした。 ↩
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実際にはxpの場合はエルミート性を課せば(xp+px)/2と決まりますが、一般にはエルミート性を課したとしても量子化の方法は定まりません。例えば(x^2)pを考えると、xpxも(x^2p+px^2)/2もエルミートとなります。 ↩
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例としては 、 などがあります。hashed operatorとして前者を採用したときの擬確率分布が(一般化)Wigner関数、後者を採用したときの擬確率分布がKirkwood-Dirac関数です。 ↩