Advent Calendar

悟りのススメ

早く悟ろう
⚠記事の内容は学生個人の見解であり、所属する学科組織を代表するものではありません。

はじめに

こんにちは。理学部物理学科3年の菅原といいます。たまには物理とは無関係な記事があってもよかろうということで、僕の目標である悟りと日課である瞑想について書きたいと思います。

悟り

突然何を言い出すんだ?ついに正気を失ったか?と思う人もいるでしょう。確かに、ただでさえ理物の課題で精一杯なのに、今やクリスマスシーズン。恋人のいる同期にマウントを取られ、恋人の出来そうな同期に勝利宣言を言い渡され、弱り目に祟り目です。そんなとき、人は何を考えるか?

そうだ、悟りを開こう。

というわけで、以下では悟りに至る伝統的な方法の「瞑想」について、主に原始仏教における瞑想の思想と、現代においていくらか裏付けのある具体的実践法のそれぞれの側面から述べます。もっとも、ひたすらに物理を勉強していれば自然に悟れる気もしますが。

瞑想の思想

瞑想の伝統は、古代インドのアーリア系⽂化まで遡ります。アーリア⼈が持っていた輪廻思想では、⼈は⽣まれ変わり続け、その輪廻のもとになるのが「⾏為」であり、「⾏為」を⽣み出すのが「⼼の働き」であるとされました。だから果てしない現世の循環から逃れるために、まずは⼼の働きを⽌めることが⽬標になります。具体的には、⼼に⽣じている思念に⼀つ⼀つ気付き、⼼を⼀つの対象に結びつける「⼼⼀境性」でもって⼼の働きを静めていきます。これが「⽌」の瞑想です。

さらに具体的には呼吸に注⽬し、空気の出入りに気付いたり、あるいは歩⾏に注⽬し、右⾜と左⾜が交互に前に出る詳細なプロセスの⼀つ⼀つを意識したりします。その都度生じる様々な雑念を分析し、それぞれにラベルを貼ると、自然とそれらの働きは消えていきます。そして更に微妙な⼼の働きに気づき、分析し、ということを繰り返していくうち、何も⼼に⽣じない状態「滅尽定」の境地に至るのです。これが⽌の瞑想における最終到達地点で、悟りの第一段階に到達したことになります。

とはいえ、たとえ修行部屋で何も心に⽣じない状態が達成できたとしても、それでは⽇常的な活動ができません。そして普段の⽣活に戻った途端その静けさは失われてしまいます。そこでブッダにより、「⽌」から⼀歩進み、「観」の瞑想が⽣み出されました。観の瞑想も、呼吸に注⽬するところから始めるのは変わりませんが、そこで⼼の働きを⽌めるのではなく、ただただ観察していくのです。そうすると、例えば呼吸に気付くという行為は、気づかれるもの(「⾊」と言います)と気づいている⼼の働き(「名」と言います)に分けられる、ということを認識できるようになります。さらに瞑想を続けていくうちに、必ず⾊から名が⽣じることから「縁起」、この心の働きも⽣じては滅すということを繰り返すという「無常」、永遠ではないという「苦」、それを⾃分ではどうすることもできない「無我」といった智慧を体得していくのです。

観の瞑想はもう⼀⽅で、視覚や聴覚といった⾝体感覚が、喜怒哀楽などの感情や様々な「⼼の働き」を引き起こし、さらにそれが「行為」へと向かわせるという構造を明らかにもします。そうすると、外界からの刺激への自動的な反応に気づき、それを最初の段階で止めることが可能になっていきます。⼼の⼀連の流れを断ち切り、すべてをあるがままに受け⼊れることが可能になった状態、それが仏教における悟りです。

瞑想の実践

瞑想とは何か

以下、少しばかり瞑想の方法を紹介していきますが、全てに共通することは一つ。瞑想とは、何かに意識を集中することだ、という点です。こう聞くと、なんだ、かんたんじゃないか、と思われるかもしれません。そんな方は、実際に3分間、呼吸だけに意識を向けてみてください。何も考えないということがいかに容易でないか、ということがわかると思います。

また、僕は悟りを志して瞑想の鍛錬に励んでいますが、悟らなくても良いという人にも瞑想は勧められます。瞑想はメンタルによく、最近ではいくつかの統計的、実験的裏付けもあるようです。参考文献[1]の『マインドフルネス・ストレス低減法』によると、著者らの営むクリニックはその本に示された瞑想プログラムを実践し、患者の苦痛を軽減するなど、効果を上げているようです。そのプログラムは8週間集中的に時間を取って瞑想を行い、一気に不安や苦痛への対応力を身に着けてしまおう、というものです。本気でやりたい方にはぜひ読んでいただきたい本です。

呼吸

さて、それぞれの⽅法に⼊る前に、どの瞑想においても注⽬することになる呼吸について述べておきます。そもそも呼吸は、意識と無意識の両⽅に制御されているという点で特異的です。例えば人は、意識的に⼼臓の⿎動を速めたり⽌めたりすることはできません。⼀⽅、私達は⼿先を意のままに制御してときに複雑な作業を⾏いますが、無意識のうちに動くということは殆どありません。ところが呼吸については、普段それを意識することは殆どないからといって忘れることもありませんが、深呼吸したり、あえて息を⽌めたりとコントロールすることもできます。意識と無意識の間にあるからこそ、集中力の鍛錬には最適なのでしょう。

さて、具体的にどう呼吸を観察するかという方法はいくつかありますが、特にやりやすいのは腹部の動きに注⽬するやり⽅です。息を吸う過程では、横隔膜が収縮して下がることで空気が肺に取り込まれ、息を吐くときには横隔膜が弛緩して上がることで空気が肺から放出されます。その繰り返しに意識を向けましょう。腹式呼吸を意識することで⾃然と呼吸も深くなり、リラックスできるはずです。

また、普段の⽣活の中で何度か、呼吸に集中するタイミングを作るのがおすすめです。勉強や作業の終わりや始まりに、例えば5 回など回数を決めて深く呼吸すると良い区切りになります。

静坐瞑想

最も基本的な瞑想が、呼吸法の延長にある静座瞑想です。この瞑想では姿勢が肝要で、座り⽅は椅⼦に座っても、あぐらをかいても、楽なやり⽅でよいのですが、上半⾝は頭と⾸と背⾻を⼀直線にして垂直に保つよう心がけます。姿勢の良し悪しが集中力にも関わってきます。

そうやって座ってみると、様々な思考が絶えず去来してくるでしょう。瞑想とは無関係のこともあれば、瞑想の効果への疑い、あるいは今回は集中できているから「良い」瞑想だとか集中できていないから「悪い」だとか、様々あります。こういった思い全てを公平に扱い、判断を保留して、呼吸に意識を戻します。静坐瞑想では、何か思考が浮かんだら、呼吸に意識を戻して、ということを繰り返す、これだけです。「止」の瞑想の代表的なものです。

静座瞑想にはいくつかバリエーションがあります。例えば呼吸から意識を広げて、呼吸と体の⼀体感を意識するとか、⾳をただ聞くというものもあります。また、高度なやり方ですが、特定の意識を集中する対象を用意するのではなく、やってきては過ぎ去っていく思考をあるがままにさせておき、ひたすら観察するという、「観」の瞑想もあります。

何であれ、はじめは5分程度が限界だと思います。徐々に時間を伸ばしていって、いずれ40分くらい連続してできるようになれば、初心者卒業と言えるでしょう。ちなみに本物のお坊さんは、時に徹夜で瞑想することもあるそうです。

慈悲の瞑想

慈悲の瞑想は、そこまでポピュラーな瞑想ではないのですが、ようは祈りです。例えば自分自身の幸福、健康を祈り、次はその対象を⾃分が気になる特定の⼈間、家族や親友へと移し、同様のことを祈り、さらに対象を自分とは関わりの薄い人間、ひいては世界そのものへと移していきます。

正直、スピリチュアルでわざとらしく感じるでしょう。しかし、なかなか効果がありますし、一言幸福を祈るだけなので、使い勝手が良いのです。

他人の幸福なんて祈れないって?そんなときは嘘でも祈りましょう。一層自分が慈悲深い人間だと思えるようになります。

というわけで僕は、クリスマスにカップルを見かけたらその都度、「彼と彼女が幸せでいられますように」と祈っています。

様々な瞑想

上で述べた瞑想は、様々ある方法のほんの一部です。以下にその他の瞑想を羅列しておきます。

ボディスキャン瞑想

体の各部分に順番に意識を向けて、全身を意識します。

ヨーガ瞑想

体を実際に動かしてポーズを取り、伸びている箇所に特に意識を向けます。ちなみに、YouTubeには海外のお姉様方によるヨガ動画がたくさんあるのですが、男性は特に意識がそれやすくなるので実は一層集中力を要します。

歩行瞑想

歩きながら、足が交互に前に出ていく様子を観察します。

手動瞑想

手をある決まった方法で動かして、その動きに集中します。

指先瞑想

指先をこすり、その触覚に意識を向けます。

おわりに

さて、長々と読んでいただきありがとうございました。とはいえ、いくら言葉で述べたところで、悟りは理屈を超えたところにあります。そもそも、あらゆる執着を捨てることが悟りなら、悟りたいという執着すら捨てねばならない、という事になってしまいます。理屈として知っているということと、本当に腑に落ちているということの間には開きがあります。物理の教科書を読んで分かった気になっても、計算ができないと分かったことにならないのと同じですね。仏教の教えを簡潔にまとめた『般若心経』は最後に、そのような迷いを断ち切る最後の一押しとして以下の呪文を唱えるよう言っています。それは意味を含んだ呪文ではなく、むしろ意味が無いからこそ意味があるとでもいいましょうか、いわば掛け声です。これを読まれている方も、辛い時はぜひ唱えましょう。

羯諦羯諦(ギャテイギャテイ)

波羅羯諦(ハラギャテイ)

波羅僧羯諦(ハラソウギャテイ)

菩提薩婆訶(ボウジソワカ)

参考文献

  1. Jon Kabat-Zin, マインドフルネスストレス低減法, 北⼤路書房, 2007.

  2. 蓑輪顕量, 仏教瞑想論, 春秋社, 2008.

作者紹介
すがはら
カレー作りとテコンドーが趣味です。